<論文> 舞踊におけるロマン的なるものの美学的考察 Aesthetic consideration of the romantic in the dance 松 澤 慶 信 Yoshinobu MATSUZAWA Abstruct  The romantic is not only one quality of dance work but also essential momentum which regulates it. It functions as the intermediary of ontology and semantics, and the romanticism is based on the romantic as the intermediary which makes art thoughts change from mimesis of 18<上付>th century to formalism and expressionism of the late 19<上付>th century, and modernism of 20<上付>th century. Dance is in the sense the romantic as a categorical concept.  Keywords :formalism, Befindlichkeit, Stimmung semantics 序  歴史概念(a historical concept/ein historischer Begriff)としてのロマン主義ではなく,範疇概念(a categorical concept/ein kategorisierter Begriff)としてのロマン的なるもの<上付>1)を本稿で明らかにして,それが舞踊あるいは舞踊作品を本質規定する契機として有効であることを考察したい.19世紀前半に起こった歴史概念としてのロマンティック・バレエ(つまりロマン主義時代のバレエ)は,その基礎概念に後者の範疇概念であるロマン的なるものを置いて支えられるわけだが,現在も創作されるロマン的なダンスも実はこのロマン的なるものに規制されているということ,もっと言えばそもそも舞踊とはロマン的なるものであることを明らかにすることが,本論攷の目的である. 第1章 ロマン主義の特質  ロマン主義という言葉に惹かれて,われわれはその過激で残酷な革命的パラダイムチェンジの精神である「脱中心」の思想を忘れてはならない.それはカール・シュミットの「政治的ロマン主義」にあるように,イデオロギー的かつ政治的な過激な革命精神であり,芸術においては,18世紀にあった神の秩序を反映させる技法としての芸術から,産業革命とフランス革命を経て,芸術のパトロンが王侯や貴族から新興ブルジョアジーに移ることにより,作品の内容がその市民の近代的自我の苦悩を作家の個性によって描かれることになる運動をロマン主義と呼んだのだった.芸術作品は神の秩序にそった美的形式原理をもとに美しく模倣する(ミメーシスする)技法ではもはやなく,作家のそして登場人物の感情を表現するようになった.  したがって,エデュアルド・ヤングが「独創的作品についての考察」(1759年)で論ずるように,オリジナルとは当初,起源や原典であるoriginが神に存するので,芸術はその神の秩序を反映するだけの技法であったのに対して,19世紀に作家が,上記したように近代的市民の自我を表現するようになったので,芸術作品は作家の個性によって創作されるようになった.そのためにその起源が神から近代的な市民である作家に移り,オリジナルの意味はやがて作家の個性による差異を表す「独創的な」という意味に変わったのだが,この変化にこそロマン主義の精神が現れている.  そしてもう一つ,歴史概念としてのロマン主義を特徴付けるのは,ビュフォンが「文体は人なり」という時に,18世紀的な解釈ならば,創作のインスピレーションは神の領域にあり文体ごときは詩人のような人智に属するものであったという解釈であったのに対して,19世紀には文章のスタイルという文体にこそ作家の個性が現れるという解釈に変化してきたことだった.  つまり芸術は18世紀の美的形式原理である神の秩序にそった美の基準<上付>2)に従って美しく模倣する技法から,19世紀には作家の個性によって近代的自我の苦悩という感情を表現するようになったのだった.この基本原理にそって,美は乱調(disorder)にありと美的範疇の幅を拡げ<上付>3),物語の筋は簡明な(explicit)ものから複雑な(complicated)のものへ変化し,かつて「詩は絵画のごとくに」と言われて叙景詩や叙事詩が優遇されていたのが,ここに抒情詩が中心となる.したがって芸術体験はもはやイリュージョニズム(illusionism)のような淡々と傍観する姿勢ではなく,感情移入(Einfu¨rung)するようになる.19世紀に芸術はまさに感情を表現する媒体になったのだった.つまりこの変化の契機の中心にあるのは感情の所在にあった.ロマン主義を芸術作品の内容にしたのは感情の使用に他ならない.  それではこの感情を舞踊芸術はどう利用したのか,範疇概念としてのロマン的なるものと関連させて論じたい.それは上記したロマン的という言葉が持つ特殊で情緒的で浪漫的な性格,つまりロマン的なるものをどう論じるかにかかっている. 第2章 舞踊の概略史  舞踊は17世紀ルイ14世のもとで宮廷バレエとして開花したが,やがて王侯や貴族がまだ自ら踊って権威を知らしめる装置(カントロビッチが「王の二つの身体」といった政治的身体と文化的身体の複合態)ではなく,プロフェッショナルなダンサーと公共の劇場を得て見世物としての劇場芸術として成長していき,やがて統一した筋を展開する筋立てバレエ(バレエ・ダクションballet d'action)というせりふのない現在のバレエに通ずる形態を得るようになる.そして18世紀の芸術思潮である筋を物語り・再現・表象representation(ミメーシス)して,当時の芸術思潮のパラダイムである絵画以上にグッドサンプルとしてバレエは認められて,堂々と芸術ジャンルの仲間入りをする.  19世紀前半に前章で述べたロマン主義を得て,ロマンティック・バレエ(ロマン主義のバレエ)が生まれる.ゲーテの言葉<上付>4)を借りれば,それは想像の世界を実現するものであった.地上世界からの逃避の象徴として女性ダンサーは重力に逆らって宙に舞う.ポアント・アラベスク・アティチュード・連続ピルエットなどの技法が確立されて,ノヴァーリスやホフマンのロマン派に霊感を受けた夢を表現しようとした.  19世紀後半にマリウス・プティパによってバレエの基本的運動素であるパが確立されてダンシング性の高い技術が生まれると,ヘーゲルがいう形式と内容の均衡を見た古典主義のクラシック・バレエが登場する.さらにプティパがマイムを使用して物語を展開するシーンとプロットレスなダンシングするシーンとを分けると,やがてこのダンシングするシーンだけでもバレエ作品として存立することが確認されて,ここから20世紀初頭1907年にミハイル・フォーキンが『レ・シルフィード』Les Sylphidesというもはや筋のない情景バレエを作り,この形態はやがてすぐにバランシンによって抽象バレエとして確立されるようになる.1854年ハンスリックによって目覚めたフォルマリズム(抽象主義)はまず音楽を端緒にして始まったが,バレエにおいては20世紀にその成果をみる.  ところでロマン主義が感情を表現することを起点に誕生したと書いたが,この内なる感情を表出する作業(from the inside out/Ausdruck)である表現主義がやはり19世紀後半から主に文芸をもとにフォルマリズムに対抗するように登場するが,舞踊的にはこの潮流は20世紀に表現主義舞踊であるモダンダンスとして開化する.  このような舞踊の発展を促す芸術思潮の変遷は,当初芸術概念が措定された18世紀に美しい形式にそって物語るrepresentationから始まり,19世紀前半のロマン主義を経て,そして19世紀後半に音楽分野から物語ることではない純粋形式を求めるフォルマリズムが,そして文芸から人間の内面の苦悩を表出する表現主義とともに現れ,この二大潮流は20世紀のモダニズムを支える両輪となるのだが,この契機はロマン主義にあったと考える.つまり中間領域であり,その変遷の契機としてロマン主義あるいはその本質であるロマン的なるものが本質契機にあると考えている.このことを,舞踊を使って論じていきたい. 第3章 舞踊におけるロマン的なるもの  英語のromanticという形容詞が本来,冒険譚・英雄譚である「roman」という小説の文芸ジャンルを示す意味だったのが,18世紀の終わりにまさに範疇概念としての「浪漫的な」という品質を表すようになる.それはpoeticという形容詞が同じように「詩の」というこれまた文芸のジャンルを表す意味から19世紀に「詩的な」というコノテーションを持つように意味が拡がっていくことになるが,この「詩的な」という意味と同意であるロマン的なるものを本論攷では追求していく.これが舞踊の本質契機であるからである.それは次の四つの中間領域<上付>5)として存立する.  A) 存在論的に:情態性(Befindlichkeit)としての存在の在り方  B) 意味論的に:言葉の意味と重層性  C) 芸術ジャンル的に:意味論的指示機能  D) 芸術思潮史的に A) 存在論的に:情態性(Befindlichkeit)としての存在の在り方  ハイデッガーは『存在と時間』の中で「われわれが存在論的(ontologisch)に情態性(Befindlichkeit)という名称で示しているのは,存在的(ontisch)には,もっともよく知られているもっとも日常的なもの,つまり気分(Stimmung)である」というように,情態性とはあくまでも存在論的な在り方のことであり,その具体的な様相が気分や雰囲気である.逆に言えばこの気分の在り方が情態性なのである.この情態性をヤスパースは実存的不安といい,それは存在論的には「宙ぶらりん」な状態<上付>6)である.  情態性は意味論的には本来絶対値のように中立であり,そこに意味論的な意味を背負った言葉のベクトルが負荷されて「感情」になる.つまり情態性は,言葉によって意味が生成される以前のプレ言語的な状態にあり,芸術は感情を表現するのだが,精確に言えば実は言葉以前のこの情態性/気分を伝えるのである.  したがって芸術体験の構造に即して論じれば,感情は,a) I feel sad. というように,主体が言葉によって対象化された客体に対してどういう心の状態を有するかという,主体と客体の区別が明確になされた上で,その対象に対する心の態度が示される.しかし情態性/気分は,b) Ich bin im Stimmung.(I am in a bad mood.)というように,主体は対象を措定できずに(つまり没対象的に)<上付>7)主体と客体が混在して,同じ場に居るという場の論理によって芸術体験が成立する.例えば音楽の鑑賞体験を思い浮かべればいいだろう.この音楽(客体)が悲しいのか,鑑賞する私(主体)が悲しいことがあって音楽を悲しく鑑賞するのだろうか.ここでは主体と客体が同じ場に混在する上で説明がなされることになる.したがって芸術作品における感情の所在は,作者にあるのか(作者を包括する時代精神にあるのか),演出家の感情なのか(演出家を包括する時代精神にあるのか),演者の感情表現にあるのか(演者を包括する時代精神にあるのか),はたまた上記の人物達によって作られた登場人物の感情に芸術の鑑賞者側が感情移入させて存立するのか.このように作品における感情の所在がはっきりしなくなるのは,まずこのような芸術の鑑賞体験の構造による.そして感情を措定する以前にわれわれは存在論的に情態性にある気分を受容するのであり,その上で言葉によって主体が対象化して感情を認識する.この感情/情態性/気分の受容体験の構造が芸術の感情体験の根幹をなす.先走って述べれば,上記したフォーキンの『レ・シルフィード』のようなプロットレスな情景バレエも然り,この場の論理によって体験されて存立する. B) 意味論的に:言葉の意味と重層性  それでは感情を生み出す言葉の意味に着目して,ロマン的なるものの中間性を探ってみよう.ロマン的なるものとは意味の差延化<上付>8)と拡散化に他ならない.  言葉言語の基本機能である2つは,1) まず言葉の意味を措定化・同定化することにある.つまり多義的に存する内容をとりあえず一義的に定めて論ずる,この意味の措定化にかかっているといっていいだろう.そして2) もう一つの言葉の機能は一義性から多義性への意味の差延化に他ならない.これは意味の豊穣化と考えていいだろう.まさにロマンティックはここに存する.上記したようにromanticという形容詞が「小説の」という文芸のジャンルから「浪漫的な」という意味へ,そしてpoeticが「詩の」から「詩的な」というコノテーションに拡がったのはまさに言葉の意味の差延化による.これをとりあえずロマンティックTと命名したい(松澤1999).ここでは次に言うロマンティックUと違い,あくまでもコアな意味が残って,その意味の解釈の差異と拡大を楽しむ,例えば英国の抒情派詩人シェリーたちが論ずる詩的言語による行間(between lines)を読むことに他ならない.彼らは歴史概念としてだけでなく,範疇概念としてのロマンティック,つまりロマン的なるものを詩的言語の差延化によって確認したのだった.  一方,ロマンティックUは,意味のさらなる拡散化を目指す状態にして機能であり,ここにはコアとなる意味の核心はもはや拡散して,あるのは雰囲気という積極的な曖昧さが残されているだけである.ロマンティックTはまだシミ(痕跡)が残っているのに対して,このロマンティックUにはもはやシミ(痕跡)は残存せずに,図と地が一緒になって全体がぼやけた「曖昧」な<上付>9)状態にある.われわれはこの状態/情景(上記したフォーキンの『レ・シルフィード』が「情景バレエ」と呼ばれることを思い出したい)においては,もはや対象化されない漠然とした場の曖昧な雰囲気を楽しむのである. C) 芸術ジャンル的に:意味論的指示機  意味の現れ方の諸相を確認したが,この差異は芸術ジャンルに「固有の形成法則」という各ジャンルがもつ表現媒体の素材のもつ物理的特性の違いに基づくことを確認したい.つまり芸術ジャンルの,意味の指示機能という意味論的な面から分析して,この意味論的指示機能の強弱をメルクマールに,ロマン的なるものを論じたい.  強>弱  文芸>舞踊>音楽  差延化/拡散化/ゼロ度化/抽象化  ロマンティックT/ロマンティックU/フォルマリスティック  この図式にあるように,意味論的指示機能,つまり情報伝達能力として効率<上付>10)が良くその力が強い表現媒体(芸術ジャンル)は左側の言葉/文芸であり,それに対してもっとも弱くいわば意味がゼロ度にあるのは右側の音楽だろう.音楽で日本女子体育大学から千歳烏山駅への行き方は絶対に指示できない.一方,その中間にあるのが舞踊である.舞踊は意味内容をマイムを通じてかろうじて伝えうると同時に,意味を伝えない音楽が音によって時間分節を示すのと同じように,意味を伝えずに身体によって時間分節を現すダンシングという表現媒体の特性を有するからである.舞踊はしたがって言葉と音楽の中間領域に立つ.  そしてそのそれぞれの表現媒体において,意味は詩的言語のような言葉にあっては差延化され,その内容がかろうじて判別ができて行間を読まれる場合の「ロマンティックT」と,音楽のように完全にゼロ度化されて抽象化(non-representational)される「フォルマリスティック」の場合と,そしてその中間にある舞踊における,その両者の性格を併せ持つ「ロマンティックU」の場合と,上の図にある3つに区別できるだろう.ここで確認しておきたいことは,したがってロマン的なるもの(なかでも,ロマンティックU)は,作品の立ち位置としても中間領域にあるということである. D) 芸術思潮史的に  芸術思潮の変遷にそくして論ずるならば,18世紀に「芸術」という概念規定がなされて,上記したようにそれは神の秩序にそった美的形式原理を基礎に美しく模倣する技法であったのが,19世紀にロマン主義を得て,美は乱調にあり,作品に近代的自我の苦悩という感情を作家が自由に表現することが芸術の営為となったのだったが,芸術はヘーゲルが言うように,表現内容と表現形式の一致した古典主義から,内容が一人歩きをしてその形式と内容の均衡が破られるようになるロマン主義を迎えるが,やがて形式の方がその新しい内容に即してまた新しい形式と新しい内容との均衡を保つ新しい古典主義を迎え,この古典主義とロマン主義を循環して芸術の在り方を安定させてきた.しかしこの関係は結局作品の内容を重んじてそれに即した形式を辿るという,アリストテレスのいう形相と質料の関係ではない,新しい内容を重んじる所詮,内容主義の概念規定であった.  だがハンスリックの『音楽美について』(1854年)を嚆矢として,芸術はもはや物語論的内容ではなく,形式そのものが作品の内容になるというフォルマリズムの論が展開されるようになる<上付>11)と,音楽は音の純粋形式である構成・構造を積極的に現し,そこに鑑賞者は美的快を得ればよいという考えを示して,意味論的にはすでに書いたゼロ度としての抽象主義を芸術において最初に提案した.逆に言えばもともと再現性・物語ること・意味論的指示機能(representational)には劣等生であった音楽は,その再現性・意味論的指示機能がゼロ度(上記したように,音楽で日本女子体育大学から千歳烏山駅への行き方は絶対に指示できない)ゆえに純粋であるとして,かえってすべての芸術は音楽に憧れると言わしめるという逆転現象をおこしたのだった.絵画も20世紀に抽象画が生まれることは周知の事実である.  つまり大きくまとめると,ロマン主義は18世紀のミメーシス(representation)の時代と19世紀後半に登場するフォルマリズムと表現主義との中間(中継)地点として位置づけられるのである<上付>12).そしてこの変遷の根拠を,このロマン主義を規定するロマン的なるものにこそ見出せるのである.つまり意味論的に曖昧で中間にあるロマン的なるものは,一つの方向性としてその意味性を排除してゼロ度になってフォルマリズムに向かうのだし(つまり音楽寄りになり),かたや感情を作品の内容として全面に表出する表現主義に向かうのだった(小説や詩がまず表現主義的になった).そしてこのフォルマリズム(あるいは抽象主義)と表現主義は20世紀にモダニズムの両輪となって芸術思潮を確定するのだが,その分岐点はロマン主義にあって,その契機には存在論的にそして意味論的に中間領域にあるロマン的なるものが操作したのだった.  物語(representation) → 情景(romanticism) → 形式(formalism)へ,あるいは物語(representation) → 気分・情緒(romanticism) → 表現主義(expressionism)へと向かう18世紀から20世紀へと変遷していく芸術思潮の流れは,いわば意味論的な指示機能の曖昧さに着目しておこる必然的な流れであったといえるだろうし,それゆえにこそ意味論的指示機能の曖昧な舞踊言語と呼応する歴史でもあった.つまり言葉言語に憧れつつも,しかしそれとは違う表現形態をバレエあるいは舞踊言語が自らの存立をかけて模索してきた歴史の諸相と一致するといっていいだろう. ま と め  基本的に他の芸術ジャンルも含めた「芸術」がそうであったように,18世紀に成立してバレエを芸術として認知させたのは筋立てバレエ(バレエ・ダクションballet d'action)の視覚的効果をねらいつつも物語性を重視するという当時の芸術概念の後押しを得てのことだったが,そこからやがて20世紀の抽象バレエを生み出す形式への関心が芽生えて抽象バレエを生むにいたるというバレエの変遷過程においては,19世紀のバレエに現れるロマン的なるものが,その変遷の中継地点にあるという意味だけでなく,バレエという舞踊言語が本質契機として内在していた特性を顕在化させたからだった.その範疇概念としてのロマン的(なるもの)という特性は今なお舞踊作品の主要な内容であり品質であり存在契機である.そして範疇概念としてのロマン的なるものとしての舞踊は今もなお量産され続けているし,どこかにバレエやダンスがロマン的であるという印象をぬぐえないでいるのはこの舞踊作品の持つ本質契機のゆえであろう.バランシンの形式主義的な抽象バレエにさえなおも残る香を忘れてはならないし,これこそがダンスにおけるロマン的なるものの余韻であると考えていいだろう<上付>13).  極論すれば,抽象バレエのフォルマリズムとは,物語論的構造とは違う表現方法としての自立を芸術あるいは舞踊が獲得しようとしてきた一つの必然的帰着点としてあった(これをグリーンバーグは自己言及的な「自己批判」と言う)が,ロマン主義という中間過程(歴史概念としてのロマンティック・バレエの時代,つまりロマン主義時代のバレエ)を経て,内在していたロマン的なるものがようやく意味内容を脱ぎ捨ててゼロ度化して顕在化するようになったのだった.逆に言えばロマン的なるものが物語ること(representation)からフォルマリズムへの方向性を媒介したのであるといえるだろう.そしてこの媒介を促進したのはひとえに意味論的指示機能の曖昧さゆえに生じる意味の差延化(多義性)−ロマンティックTや,拡散化−ロマンティックUによってであった.  そしてこのロマン的なるものは,バレエにおいて今なお積極的に「曖昧さ」を売り物にする宙づり,つまり存在論的(ontologisch)には情態性(Befindlichkeit)の状態にあって,しかし存在的(ontisch)には雰囲気/気分(Stimmung)として,積極的に作品の内容を充足させる,バレエにとっては表現上の戦略にして方便である.もっと言えば新作の物語バレエをプログラムの解説を読まずにダンス作品そのものを見ても筋がわからないという宙づり状態こそが,実はバレエ作品の醍醐味であり魅力なのである.  受容体験の構造としても,感情のように主体が客体を言葉によって措定して認識する以前に,主客が混在化してこのロマン的なるものは情景/場として享受され,そこから物語論的意味や登場人物の感情があるいはフォルムが受け手側に展開される(受け手側が主体的に展開する),いわゆる意味生成がなされる以前のプレ言語的な状態として把捉される.  そしてもう一度作品の側にそくしていえば,この意味論的意味の指示機能の曖昧さゆえにおこる差延化や拡散化の構造は,一つは曖昧なものを排除してゼロ度化するフォルマリズムに行き着くことになり,もう一つはむしろ近代的自我の苦悩として表出する表現主義へと向かう,このフォルマリズムと表現主義の両極が20世紀のモダニズムを支えている.  舞踊にそくしていえば,19世紀のロマンティック・バレエから顕在化することになる上記のこの二大潮流は,プティパにおける物語の進行とダンシングシーンの分離を待って20世紀初頭に情景バレエを生み,そしてこの情景バレエが運動態の構造構成に関心が向かうフォルマリスティックな抽象バレエに発展していき,もう一つの人間の情念を表出表現する表現主義はモダンダンスに受け継がれていく.  しかし1960年代以降に現れるポストモダニズムはメタ的にモダニズムのフレームワーク自体をディコンストラクションして超克しようとする.もはや大きな物語が喪失し(リオタール),近代は未完のまま(ハーバーマス)に残された.それでは,意味論的な中間領域としてそれ自体の価値を有するロマン的なるものははたしてポストモダニズムに対してどう機能するというのだろうか.ポストモダンの機能不全な状況へのカンフル剤になるのだろうか.これには今こたえられない.  もちろんわれわれはこの言葉の意味性によって対象化する必要はない,宙ぶらりんなままに作品を鑑賞してもよい.ロマンティック・バレエは,このような舞踊作品の在り方と鑑賞の仕方を支える「舞踊の本質契機」を気付かせてくれるのである. 【注】 1) この「ロマン的なるもの」という名辞の仕方は,「美的なるもの」または「感性的なるもの」,つまりthe aestheticあるいはdas aesthetischesと同位である. 2) 秩序(order),調和(harmony),均衡(balance),比率(proportion)に相違ない. 3) 19世紀のロマン主義美学において,これまでの美的内容に加えて,悲愴,崇高,フモール,イロニーといった新たな範疇が生み出された. 4) ゲーテは「対称ほど退屈なものはない」と言って,もはや18世紀の客観的な美的価値を捨てて,むしろ乱調に美を見いだすのである. 5) ここでいう「中間的」とは,弁証法的に止揚されることではなく,例えばシラーが『美的教育論』でいうところの,形式衝動と素材衝動との循環の中継地点にあるという考え方と同位である. 6) ハイデッガーは,人間存在は「現存在」(Da-Sein)であって,Da(存在Seinがそこに現れる),つまり人間だけが「存在」の意味を問う存在者であり,常にすでにある存在了解内容のうちで行動している存在者なのであるという.das Manに頽落している「非本来的自己」から「本来的自己」への転回を決意する契機は,人間が誰も代わることのできないもっとも自己的な可能性であるところの死へと先駆し,それを覚悟することである.人間は「死にいたる可能的存在」として,根本的情態性として対象のない漠然とした「不安」(Angst)にとらわれており(キルケゴールの影響),そこから逃避して,das Manに頽落するのであるという.   このような人間の現存在の在り方をハイデッガーは情態性(Befindlichkeit)として表し,世界内に被投されている事実性としては,対象を持たない気分(Stimmung)として説明する.日常生活の内に頽落している現存在に定位していてはその真の全体性と本来性は捉えられないとして,誰も代わることのできないもっとも自己的な可能性であるところの死へと先駆し,それに対して覚悟している現存在の考察などをとおして,その存在の意味を時間として提示しようとする.したがって人間存在の本質契機である情態性/気分は死へと先駆する可能性として,対象をもたない漠然とした不安という気分となる.すなわち,人間存在は事実世界では,対象をもたない不安という気分の内に存在する.   これを「宙ぶらりんな状態」と筆者は言い,そして世界内存在として人間は,情態性の了解を,共同存在としての他者との関わりで解釈と理解として捉え,それを「語ること」(伝達すること)によって意味が現れてくる.したがって「情態性」とは「言葉の意味生成以前のプレ言語的な状態にある」とも言う. 7) ゲルノート・ベーメが『感覚学としての美学』(106)でいうように,気分は志向性を持たない状態である. 8) ジャック・デリダは「差延」を,diffe´rence(差異)と同じ発音のdiffe´rance(差延)を使うことで,diffe´rerという動詞が「異なる」という意味だけでなく,時間的に「遅らせる,遅延させる」という意味をもつことから,両方の意味を含む名詞として造語して使用している.つまりこの差延には遅延・延期が含まれていて,いわば「痕跡」を含んでおり,言葉Aの意味を一義的な差異として捉えるだけでなく,差異を結果として生ぜしめる動機がこの差延であるという.   筆者がここで使う「差延化」はそのような痕跡を意味の核として解釈してもよいが,歴史性は考えていなくて,むしろ差異が静的なイメージを与えるのとは違い,差延が意味を拡げていくという動的なイメージを表すものと考えて,この差延をあえて用語に使っている. 9) ここではエンプソンのように,曖昧を分類しない.彼の曖昧を,このように意味が拡散した上での味わいと考えたい. 10) 芸術が情報伝達の効率によって論じることによって,芸術の内包を取捨してしまう危険性をわかった上で,比較芸術学的に,まずその芸術ジャンルの違いを挙げるために,ここでこの用語を取り上げる. 11) ハンスリック著『音楽美について』をフォルマリズムの■矢とするという考え方に異論があるかもしれない.彼は音楽にワグナーのように意味や感情の内容を盛り込むことに対する批判をしたのであって,フォルマリズムに直接言及したのではないという見解もあるだろう.しかしその後の芸術思潮は彼のこの論をまって,すでに着目されていた「純粋形式」の概念を背景に一気にフォルマリズムへと展開されていく.そして絵画においてはヴェルフリン著『美術史の基礎概念』がその役割を果たすことになる. 12) ウィードマンが彼の著書『ロマン主義と表現主義』で,表現主義をロマン主義の延長にあると位置づけている. 13) バランシンは「バレエで姪っ子は表現できない」と言って抽象バレエへの方向性を動機づけたが,バレエが完全に意味を捨てて抽象的にはなりえずにどこかに雰囲気や香りをはらむことを知っていて,それらを彼のバレエの品位にする戦略を持っていたと思う. <参照文献> ・ベート,ウォルター・ジャクソン著,青山富士夫訳『古典主義からロマン主義へ』北星堂書店 1968 ・ボルノー,オットー・フリードリッヒ著,梅原猛,藤縄千艸訳『気分の本質』筑摩書房 1973 ・ベーメ,ゲルノート著,井村彰他訳『感覚学としての美学』勁草書房 2005 ・ベーメ,ゲルノート著 梶谷真司,斉藤渉,野村文宏編訳『雰囲気の美学』晃洋書房 2006 ・エンプソン,ウィリアム著,岩崎宗治訳『曖昧の七つの型』(上下)岩波書店 2006 ・ファースト,リリアン・R著,床尾辰男訳『ヨーロッパ・ロマン主義−主題と変奏』創芸出版 2002 ・グリーンバーグ,クレメント著,藤枝晃雄訳『グリーンバーグ批評選集』勁草書房 2005 ・ハンスリック,エデュアルト著,渡辺護訳『音楽美論』岩波書店 1960 ・ハイデッガー,マルティン著,原佑,渡邊二郎訳『存在と時間』中央公論社 2003 ・ヘーゲル,ゲオルク・W・F著,長谷川宏訳『美学講義 上・中・下』作品社 1995 ・ヘルダー,J・G著,薗田宗人,深見茂訳『ドイツ・ロマン派全集第9巻 無限への憧憬』国書刊行会 1984 ・レッシング,G.E. 著,斎藤栄治訳『ラオコオン−絵画と文学との限界について』岩波書店 1970 ・ペイター,ウォルター著,富士川義之『ルネサンス−美術と詩の研究』白水社 2004 ・シェンク,H・G著,生松敬三,塚本明子訳『ロマン主義の精神』みすず書房 1975 ・シラー,フリードリヒ・フォン著,小栗孝則訳『人間の美的教育について』法政大学出版会 2003 ・シュミット,カール著,橋川文三訳『政治的ロマン主義』未来社 1982 ・テレンバッハ,フーベルトゥス著,宮本忠雄,上田宣子訳『味と雰囲気』みすず書房 1980 ・ヴェルフリン,ハインリヒ著,海津忠雄訳『美術史の基礎概念』慶應義塾大学出版会 2000 ・ウィードマン,アウグスト・K著,大森淳史訳『ロマン主義と表現主義−現代芸術の原点を求めて 比較美学の試み』法政大学出版局 1994 ・ウルリヒ,ヴォルフガング著,満留伸一郎訳『不鮮明の歴史』ブリュッケ 2006 ・イェシュケ,W,ホルツァイ,H編,相良憲一,岩城見一,藤田正勝訳『初期観念論と初期ロマン主義』昭和堂 1994 ・小川侃編著『雰囲気と集合心性』京都大学学術出版会 2001 ・佐々木健一著『フランスを中心とする18世紀美学史の研究−ウァトーからモーツァルトへ』岩波書店 1999 ・松澤慶信著「バレエと形式主義」『國文学』特集. 演劇 1998.3月号 ・松澤慶信著「19世紀のバレエ「物語る」ことを巡る興亡 ロマンティシズムと形式主義」『舞踊學』舞踊学会紀要No. 22 1999 (平成28年9月16日受付 平成28年12月21日受理)